『水差しはしばしば井戸に行けば遂に壊れる』¹

 飲料水を井戸に頼っていた頃、井戸から汲んだ水は桶で運ばれて屋内の水がめに貯められ、そこから陶器の水差しで食卓その他に供されるのが一般的なパタンであった。その手順が面倒であるからといって、水差しを直接井戸に持っていって水を汲もうとすれば、一、二度は無事であっても、繰り返しているうちに、はずみで石組みの井戸枠の端にでも当たって、貴重な水差しを割ってしまうこともありうるというのである。

 うまくいっているからといって、調子に乗りすぎれば失敗することもある、という警告である。さらには、あまり誘惑に身をさらしていると、いつのまにか負けてしまい、遂には破綻をきたすこともある、と拡大解釈して用いられることもある。

 イギリスでは、14世紀の中ごろにすでに記録されており、様々に変形した表現があり、古くから人口に膾炙したことわざである。

このことわざから派生したと思われる、17世紀頃に記録されている次の様なことわざがある。『水差しが石に当たるにせよ、石が水差しに当たるにせよ、打ち当たることは水差し(石)にとってありがたくないことだ。』² 本邦のことわざでは『触り三百』、すなわち「ちょっと触ったばかりに三百文の損をする」、あるいは「なまじっか係わり合いを持ったために思いがけない損害をこうむる」ということである。

いずれにしても、人の間にあって人の言動はもろいもの。調子に乗って傷つけず、傷つけられないように慎重であることが肝心、ということであろう。

1. The pitcher goes so often to the well that it is broken at last.
Var. The pitcher doth not go so often to the water, but it comes home broken at last.
    The pitcher, that goes often to the well, comes home broken at last.
    So long goes the pot to the water that at length it comes home broken.
2. Whether the pitcher strikes the stone or the stone the pitcher, it will be bad (or ill) for the pitcher (or stone).

(志子田光雄)