『地獄は善き意図で敷きつめられている』¹

 地獄の観念は死者の埋葬の風習と結びついているが、原始民族の間では、死者の行き着く世界は、善人悪人の区別なく、喜びも苦しみも無しに、ただ空虚な生活を送る地下の暗黒の世界と考えられていた。

 しかし、社会生活が複雑になり、行為の倫理的な価値に対する裏づけが必要となるに従い、現世での行為の結果を死後の世界に反映させる必要が生じ、それが宗教と結びついたとき、洋の東西を問わず似通った地獄観が出来上がったようである。

 その地獄に落とされた人々も、本来は善い意図を抱いていたが、ただ実行に移せなかっただけなのである。そのため、地獄にはそのような実現しなかった善い意図が一杯累積しているのだ、というのがこのことわざの意味である。

 ここから、人は地獄に落ちないためによき意図を抱くだけでなく、それを実行に移す注意と努力をしなければならない、という勧めとなる。『地獄は天国のないところならどこにでもある』²からである。

1. Hell is paved with good intentions.
2. Hell is wherever heaven is not.

(志子田光雄)