『自分の子供を知っている者は賢い父親だ』¹

 自分は自分の子供の能力を十分に知っている、などという教育パパの話ではない。

 シェイクスピアの史劇『ヘンリー四世第一部』に、「お前がわしの子だということは、一つにはお前の母親の証言もあり、また一つには自分自身身に覚えがあって信じている」というセリフがある。身に覚えがあって、子供の母親の証言を信じることが出来る者は幸いであるが、奥さんに他人の子を自分の子と信じ込まされている愚かで不幸なダンナもいる。『知らぬは亭主ばかりなり』であるが、標記のことわざは、このような事情を肯定的表現で、いささか皮肉を込めて述べたものである。

 典拠は、ホーマーの『オディッセー』で、「自分の父親を知っているのは賢い子供である。なんとなれば何人も自分の血統に就いて自ら知る者はいないからである」(I、26)という一節にある。ここでは、子供と父親の位置が反対になっているが、趣旨は変わらない。

 DNAによる親子鑑定の出来なかった時代の話ではあるが。 

1. It is a wise father that knows his own child.
  (It is a wise child that knows his own father.)

(志子田光雄)