『見つめられた鍋は決して煮立たない』¹ 時間の経過に対する我々の知覚は、必ずしも時計が刻む物理的客観的な時間の経過とは一致しない。 一般に、過去の時に関しては、もし出来事が多ければその時間は長く回想され、無為に過ごせば短く感じられるものである。 一方、現在知覚している時間については、もし不安を抱いたり、焦りがあったり、待ち望んだり、退屈したり、持続的に力を要する仕事をするなど、情緒的にも、意思的にも、肉体的にも緊張している場合には、時間が長く感じられ、逆に、何か興味ある出来事に熱中、あるいは没頭している場合には短く感じられる。 標記のことわざは、料理を急ぎ、煮立つのをまっていると鍋はなかなか煮立たないように思われるということであるが、待つ身には時間の経過が実に遅く感じられる、という人間の時間知覚の問題を具体的に述べたことわざである。 本邦の『待つ身は長い』に相当する。 (志子田光雄) |