『力は正義なり』¹ ギリシャの哲学者プラトンが『国家』の中で「私は正義とは強い者の利益にほかならないと断言する」と言ったこと、並びにラテン語のことわざ「力は法の尺度である」²に由来する。力を持ったものが結局は正しいとされるということであり、権力や武力を行使する者の論理あるいは強弁。 中世ヨーロッパに、騎士が(有夫の)貴婦人に対し、自らを僕とし、崇拝と愛を捧げる独特の恋愛様式が一時流行した。「宮廷恋愛」と称されるもので、諸説があるが不倫がその一要素となっているため、当然秘密を要した。しかし事が露見し、訴える者が出た場合、騎士はその貴婦人と自分の名誉を守るために、公の場で相手に一騎打ちを挑み、相手を倒せばその名誉は守られた、と認められた。これはまさに力が正義として認められた例として興味深い。 ドイツには「力は正義の先に立つ」³とあるが、まさに「無理が通れば道理が引っ込む」である。 リンカーンはこれに反対し、「これまでの歴史では、力は正義といわれてきたが、今やそれを逆にして正義は力と言うべき時代だ」と言っている。 |