『自分自身の指を舐めることのできない料理人は哀れな料理人である』

 このことわざは、一般に、料理人は自分の指につく料理を舐めるという役得にありつけるのが通例であるが、そこから、「ある職についている者が役得で利益の一部を自分のものにし、私服を肥やせるのに、それができない者は哀れな者である」、という意味に解釈されている。

 シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』において、ジュリエットの父親が娘の結婚式の準備のために「腕利きの料理人を二十人ほど探して来い」と命じると、召使が良い料理人かどうかは「指を舐められるかどうか調べれば分かる」と言い、その理由として標記のことわざを出してくる。この場合、「指を舐めることができる」とは「味見をすることができる」ということである。したがって、このことわざの字義どおりの意味は、「自分の指を舐めて味見ができないような料理人は良い料理人ではない」ということになる。

 最近は、テレビやラジオの料理番組で、調味料の分量をグラム単位や小匙で何杯などと紹介するが、ある有名な料理人は、テレビに出演してもそのような紹介を許さなかったという。その理由は、同じ食材にしても、採れる時期や産地によって微妙に異なるので、画一的な量の調味料では納得のいく味を出せないからである、という。料理の味はその都度、自分で(自分の指を舐めて)味見をして決定すべきなのであろう。

 ところで、もし『ロミオとジュリエット』の召使が、冒頭で述べたようなこのことわざの一般的な意味を言葉の裏に込めて用いているとするなら、雇ってきた料理人は役得で何を持っていってしまうか分からない、という危険性がある。このことわざを密かに実行し、役得にありついている者が多い、というのが世間の実情のようである。

1.  He’s a sarry (or a poor or an evil or an ill) cook that may not (or cannot) lick his own fingers.   [sarry=(スコットランド語)sorry]

(志子田光雄)