『終わりよければすべてよし』1 人生には幾度も「終わり」がある。本来は動いてやまぬ時の流れに、人間の驚くべき知恵は区切りをつけ、立ち止まり、過去を振り返ってその成果を問う。一日に終わりがあり、一年の締めくくりがあり、卒業があり、定年があり、かくしてその最大なるものとして人生の終わりである死がある。「人の一生は棺の蓋を覆って定まる」とあるが、死に際して多くの人々に惜しまれるならば、その人の人生は成功であったと言えよう。逆に生前いかに功績をあげても死後批判を受けるならば、その人の人生は何のためであったかと問いたくなる。まことに「終わりを全うすることは至難の業」なのかもしれない。それだけに、終わりがよければすべて良しとなるのである。 この「終わり」を意味する英語のENDには「目的」という意味もある。物事の終点に到達してみれば「終わり」であるが、物事の出発点に立ってみれば当然「終わり」は「目的」である。たとえ一つの終わりが悪くても、次にくる終わり、すなわち目的をよく良くしようとする心構えがあれば、今の失敗は何するものぞとなるのではないだろうか。 |