『馬は仕上がったのを、妻は仕上げるのを』¹ 妻と馬を並べて論ずることわざが少なくない。すでに言及したものでは『自分の女房と酒と馬をほめるもものではない』、『馬と妻と刀は見せてもよいが、貸してはならぬ』がある。その理由はいろいろあるであろうが、ひとつには、往時馬は男にとって妻に劣らず(妻の次に、と言うべきか)常に身近に必要としたことと、ともに御することが難しかったからであろう。 『白い馬と美人の女房を持つと苦労が絶えない』²。白い馬は汚れが目立つので手入れが大変であるし、美人の妻も誘惑されやすいので、浮気を抑えるのが困難だからである。そこから、『どこの祭りにでも妻を行かせ、どの水溜りででも馬に水を飲ませる者は良妻と良馬に恵まれない』³ということになる。 このように御することが困難なため、もし馬を求めるならばすでに調教済みのものを、妻を娶るならば自分の好みに仕立てて完全にコントロールできるようなウブな女性を選べ、というのがこのことわざの意味である。 ちなみに、これはフランスのことわざであるが、西洋にこの種のものが多いのは日本の比ではない。それにもう一つ、断るまでもなく、これは男性中心社会の時代の産物であり、フェミニズム隆盛の現代にあっては、逆転の発想も可能であることを付け加えておく。 |