『従者にとっては誰も英雄でない』1 身の回りの世話をするために絶えず主人に付き添っている従者にとっては、その主人がいかに人々に英雄視され、尊敬されている人物であっても、その弱点をも知っているため、それほど偉大には見えないものである。 16世紀のフランスの思想家モンテーニュは、「世の中の人々から奇跡的な人物と思われている人物も、妻の目からは優れたところが見えないものだ。ことに下男下女からは立派な人物と思われる男はほとんどいない」と言っている。 一般に、人は、よく知っている、従ってその欠点をも熟知している人を、たとえその欠点を補う長所があっても、それ相当の敬意をもって扱わず、かえって、遠くにいて欠点が見えない人を大切に扱うことが多い。そのため、『慣れすぎは侮りのもと』2ということわざが生まれる。少々持って回った表現であるが、新約聖書マタイによる福音書第13章57節にあるイエスの言葉に基づく『預言者は自分の郷里以外では敬われないことは無い。(預言者は郷里に入れられず)』3も同趣であると言えよう。 (志子田光雄) |