『戦争はこれを体験したことのない者にとって美しい』1
人間は、この地上に放り出された時から、生物としてその生命を維持するために、他を犠牲にしなければならなかったし、同時に他の犠牲になる可能性に怯えてきたのだ。言い換えれば、人間は食うか食われるかと言う緊張感の中で、他との戦いによって生を維持してきたのだといえる。採取にしろ、狩りにしろ、そして、その採取や狩りの場の確保のための他の人間あるいは動物との争いにしろ、その原初においてはすべて生命維持のためであった。歴史上の指導者達がどのように理由付けをなそうとも、戦争は、このような人間の原初的、本能的な行動によってなされてきたし、今でもなされているのだ。
このような生きるための戦いにおいて、自分が狩られ、自分が犠牲になるのでなければ、相手を狩り、相手を倒すことは楽しみである。狩猟と、戦争の代償行為であるスポーツがそれを示している。標記のことわざも、このような原初的な楽しみに根拠がある。美々しく装った軍団が対峙し、やがて戦闘に入っていく場面を映画で楽しんだり、現代の戦争で、テレビで生中継される戦闘シーンに目を凝らすのは、このような原初的な楽しみが心底で頭をもたげるからである。
しかし、戦争を経験し、一度でも生命の危機にさらされた者にとっては、戦争は嫌悪すべきものでしかないのだ。
このことわざは、ギリシャ語のことわざに起源を持つが、戦争反対の告発をなしたエラスムスもその『格言集』に収録している。
1. Dulce bellum inexperis.
War is sweet to them that know it not.
(志子田光雄) |