『知らぬは幸い』

 イギリスの詩人トマス・グレイ(1716-71)の詩『イートン・カレッジ遠望の賦』(“Ode on a Distant Prospect of Eton College”)の最後の2行、「知らぬが幸いなるとき、賢きは愚かなり」2が出典とされている。名門校イートン・カレッジで学生達が人生の悲哀も苦労も知らずに楽しげに遊んでいる様子を詠んだものである。

 人生には、過去の出来事についても、また将来起こるかもしれない悪い事柄についても知らないでいる方が心を乱されることもなく幸いである場合が多い。癌にかかった人が、その事実を知ると途端に生きる気力を失ってしまう場合があるという事実をみれば、情報過多で知る権利が叫ばれている時代にあっても、知らない方が幸いであるようなことが多いと言えよう。『無知における生活はもっとも楽しい』のである。

政治、経済、社会の問題にしろ、学問上の諸問題にしろ、それをよく知る者はよく悩むのである。言い換えれば、『知らぬものは悩まず』とあるように、「無知なる者は悩まない」のであり、逆にいえば「悩まぬ者は無知さ加減を暴露している」のである。

標記のことわざには、大抵本邦のことわざ『知らぬが仏』が当てられているが、これには嘲笑や冷やかしの意味が込められていて、『知らぬは亭主ばかりなり』といった意味で用いられることが多い。しかし、このイギリスのことわざには、このような軽蔑のニュアンスはない。

1.  Ignorance is bliss.
2.  ...
where ignorance is bliss,
  ’Tis folly to be wise.
3.  In nihil sapiendo vita est jucundissima,
  In knowing nothing is the sweetest life.
4.  He suffers not who knows not.

(志子田光雄)