『釜が鍋を黒いと言う』1 人は、自分を他人と区別したがる傾向がある。自分に非がない時は、他人の非を見出して、自分にそのような非がないことで自らを他人と区別し、安心する。反対に、自分にも他人と同様の非がある場合には、ことさら他人の非を指摘し、自己弁護しようとする。 薪を燃やして煮炊きしていた頃には、鍋も釜も底は真っ黒の煤(すす)で覆われていた。どちらがより黒いということはない。鍋が、自分の底が見えないために釜を批判する場合は、いわば無知の暴露であるが、自分の黒さを棚に上げて非難する時には、愚かな場合もあるが、悪意が込められる場合の方が多い。このことわざには、同類相憐れむというニュアンスはない。 同趣ことわざは、『ロバが他のロバを耳長とののしる』2、『ワタリガラスがミヤマガラスに言う、黒衣さん、近寄らないでと』3、『烏(からす)は鴉(からす)がカアカアと鳴くという』4、『炉がかまどを黒焦げの床と言う』5など、枚挙にいとまない。極めつけは『悪が罪を正す』6あるいは『悪魔が罪を非難する』7であろう。 本邦の『目くそ鼻くそを笑う』に相当する。 (志子田光雄) |