『沈黙は金』1 アメリカの大学と日本の大学の大きな違いの一つは、学生の発言と質問の量の差であろう。アメリカでは、演習だけでなく講義においてすら、かなりの時間を質問に割いている。質問が許されるときには、いっせいに挙手して、指名を受けようと立ち上がる者もいるような講義を経験したことがある。 西洋社会の源流の一つであるギリシャの都市国家以来、平等な人格の確立に基づく民主主義的な国家経営においては、自分を主張し、他を説得するということはきわめて重要であり、また都市国家間の同盟、離反が繰り返されていた状態では、政治家の演説は重大な国家的、社会的利害を有していた。そのため雄弁術、修辞学が発達し、その伝統は現代の西洋の諸言語の表現法にも色濃く及んでいる。 総じて欧米の人々は話術が巧みであり、その彼等が『沈黙は金』と言うのは興味深い。以心伝心を是とする日本人は思わず頷くことわざであるが、しかし彼等は『弁舌は銀、沈黙は金』2、『下手に話すより沈黙がまし』3また『時には沈黙が言葉以上に雄弁』4とあるように、弁舌を肯定した上での沈黙の効用を説いている点で、わが国の場合と異なるようである。『沈黙が必ずしも良いとは限らない』5という警告もある。 (志子田光雄) |