『靴がどこを痛めつけるかは履き手が一番知っている』¹

 ギリシャの伝記作家プルターク46−120頃の『英雄伝』中「イーミリアス・ポーラス」の章で物語られる一つのエピソード、すなわち、あるローマの貴族が若くて美しく、しかも貞節な妻を離婚したので、友人が彼を責めたところ、自分の靴を示して「このようなエレガントな靴でも、これが私の足のどこに当たって痛いかは、履いている当人の私にしか分からないのだ」と言ったというエピソードに由来する。

 問題の所在は当事者が一番よく知っている、あるいは、「自分を一番よく知っているのは自分である」²、すなわち、自分の弱点、欠点を知る者は自己である、ということを意味する。

 類似のことわざとして、「われわれは自分の憂いのみを正しく感ずるものである」³という英語のことわざを引き合いに出す人もいる。

1. Nemo scit, ubi calceus urat, nisi qui eum portat.
 (靴がどこを痛めるかは、それを履いている人でなければ誰もわからない。)
 
Chacun sait où son soulier le blesse.
 (靴がどこを痛めるかは当人だけが知っている。)
 
The wearer best knows where the shoe wrings him.
 (靴のどこが痛めるかは履き手が一番知っている。)
 [類]
  No man knows where the shoe pinches but he who wears it.
  I know best where the shoe wrings me.
2. Everyman is best known to himself.
3. We can only feel properly our own troubles.

(志子田光雄)