『鷲だけが太陽を凝視できる』1 人は、一般に、物事を判断する時、自己の知的、体験的経験を基準とし、その経験の範囲内で解釈し、判断する。他人の言動を忖度する場合も、自分の理解可能な枠の中で、すなわち自分の度量の範囲内で行いがちである。ことに心の柔軟性と謙虚に学ぶ姿勢を欠く場合、相手がその人をはるかに超える能力を持っていても、自分の能力に引きつけて判断し、結果的には理解できない。 『史記』に「燕雀(えんじゃく)安(いずく)んぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや」とある。スズメやツバメのような小さな鳥には、オオトリやコウノトリのような大きな鳥の抱く心は理解できないということである。 標記のイギリスのことわざも、このような事情を視点を変えて述べたものである。中世からルネッサンスにかけて自然界には位階序列が存在した。一般に天体の最高位の太陽を目をつぶさずに見ることはできないが、鳥類の最高位の鷲であるならば可能である、ということである。 大人物のみが大人物の志を知ることができ、小人物には窺い知れないものである、という意味である。 (志子田光雄) |