《6日目:昭和50年3月23日 根室本線》 今日からは単独行。 移動が続いたので今日は休憩。伯母の家から東滝川が近い。ここは全く注目されない路線だが芦別までの間でD51とキューロクが走っている。 散歩がてら行ってみよう。 東滝川から赤平に向かって歩く。雪があってよくわからないが田んぼのようだ。しばらく歩いたら時間がなくなった。平坦だし煙を吐くかどうか 疑問だが、サイドからねらう。 ![]() 次は上り列車。この路線も赤平と芦別から石炭列車が運転されている。重量感のあるセキ列車だが残念ながら煙なし。後撃ちなのは、もしかして 巻き上げを忘れてしまい、しょうがなくてシャッターを切ったからだったような。 ![]() これが行ってしまうと当分蒸機列車はない。疲れが出たのか写欲が減退したまま伯母の家へ帰る。 《7日目:昭和50年3月24日 夕張線》 撮影行は夕張でラストを迎えた。追分でディーゼルに乗り換え、沼ノ沢に向かう。もう少し早い時期であれば専用線の古典機に会えたのだろうが この頃には国鉄の蒸機しか残っていなかった。雑誌で見る運炭路線の写真が忘れられない。沼ノ沢、清水沢という地名も。 雑誌「蒸気機関車」に載っていた1枚の写真。スチームに包まれたD51の姿は心を捉えて離さなかった。何てすごいところなんだろう。 降りた駅の情景は意外なものだった。炭鉱の設備は近代的。ちょっとイメージが違ったか。 それはともかくとして場所を探す。今思えばばくちのようなもの。ここに限らず地図も持たずによくまあ北海道にまで出かけたものだ。 何とか撮れそうな場所を見つけた。雪があるが開拓農家のようなところだ。ここで待つ。 ![]() 駅に戻る。せっかく来たのだからじっくりとD51を写したい。この頃のダイヤは駅ごとに長時間停車するようになっていた。そんなことでじっく りと写すには良かったのだ。 ![]() ![]() ![]() しばらく駅付近で撮影していたがなかなか気持ちが盛り上がらない。ここぞというポイントがないからか?撮影を続けていたら感度が鈍って来た のかも知れなかった。D51がいる、というだけでは何も感じなくなっていた。そんなこともあり、あっさりと追分に戻る。 追分で何時間も待合室にいて汽車を眺めていた。きっと精神状態がまともではなかったのだ。もうこれで北海道には来れないという思い、D51や キューロクを見るのはこれで最後だという思いが胸を駆け巡る。これでもう自分の生活圏で本物の蒸機を見ることはないだろう。 ![]() 蒸機を撮るには「遅れてきた世代」だったのかも知れない。 ただ、北の大地を駈ける機関車たちに会えたのは本当に幸せなことであった。 |