《4日目 名寄本線》


 「駅ネ」を決定したのは同行の写友である。「名寄」は夜でも待合室が開いている、と確信を持っていたのだ。彼の説によれば「2時から3時
の間に夜行列車があれば待合室は開いているはずだ。」それに該当するのは旭川と名寄だという。その通りだった。
 それはいいのだが、誤算だったのは椅子がプラスチックの朝顔だったこと。これでは寝にくい。それでもどうしようもない。盗まれないよう荷物
をひもで結わえてから横になる。蛍光灯も点けっぱなしで明るすぎるがいつしか寝入ったようだ。
 夜中に何度か目が覚めた。トイレにも行ったような。
 朝になった。雨が降っている。耳をそばだてると「ボッ!」と汽笛が鳴っている。入換の機関車だろうか。
改札口の近くに「今日のSL」という掲示板があってナンバーが書き込んである。322レは残念ながらC5787だ。訪れた時には旭川機関区にC57が
2両転入しており、2両いたC55との共通運用だったから確率は1/2。
 それでも待合室で暇をつぶすよりは、と思い、入場券を求めて雨のホームでスナップ。C57は濡れたボイラーから湯気を立ち上らせていた。

 名寄

 昨日来た道を戻る。一ノ橋を過ぎるととたんにスピードが落ちた。急勾配はしばらく続き、ディーゼルエンジンのうなりがふっと消える。
雨のサミットを越え、今度はブレーキをかけながら坂道をころがる。駅間がずいぶんあるな、と思っていると家並みが現れて上興部着。
 木造の給水塔の下で9600が1両休んでいる。(写しておけばよかった!)
さして大きくない駅舎を眺めて食料の調達に出かける。駅前に小さなスーパーがあってパンを買った記憶がある。
 そういえば旅行中に何を食べていたのだろう?こづかいが少なかったから街中で優雅に食事ということなど夢であり、駅弁にも手が出なかった。
たいがい駅そばかパンだったような気がする。それとキオスクで売っている100円のカステラだったか?なぜ北海道はどこへ行ってもカステラを
売っていたのかいまだに疑問。
2〜30人いたファンは一ノ橋方面に歩き出した。それに続く。
 ずいぶんと歩いて牧場のようなところで道路から斜面を登る。見ず知らずの土地だからポリシーもなく「みんながいるからきっといい場所なの
だろう。」という程度だ。相変わらず雨が降り続き、露出は稼げない。200ミリを使うのがいいが(といっても他に50ミリしか持っていない。)
絞りF4開放で何と1/60でしか切れない。しかも手持ちだ。これには参る。やがて左手はるかかなたに9600の重連が姿を現した。
 雑誌で見た通り、確かにすごい煙だ。速度もいくらも出ていないからなかなか近づいて来ない。連続でシャッターを切る。
何枚も写して重連は目の前を通り過ぎた。みんな充実感で一杯のようだ。どう写ったか気になるが、それは後でのお楽しみ。
   
 上興部−一ノ橋
  
 上興部−一ノ橋
 
 上興部−一ノ橋

 雨の道を駅まで戻る。午後は峠の反対側での撮影だ。天気のせいか静かな待合室で時間をつぶしたのだと思う。
ディーゼルで一ノ橋へ。上興部と違い給水塔などの設備はなく、列車が去ってしまうと駅舎だけが静かに残された。
 蒸機終焉間近といってもファンが集まっているのは本当に有名な撮影地だけだ。そこをはずせば普段と全く変わらない。どこへ行っても人が多い
のかと思っていたら予想が外れた。一ノ橋側もそれほど人気がない。線路の周囲に開けた場所がないせいだろう。雑誌でも見かけたことがない。
 今度の列車も重連だが2両目が逆向きだ。撮影場所を探すがなかなかいいところがない。時間がなくなってきて線路端に三脚を据える。
重連らしさは表現できないが仕方がない。

 一ノ橋−上興部

 雨は止んだが空はまだ暗い。駅で名寄行のディーゼルを待つ。だいぶ疲れがたまりすぐに眠り込んでしまう。
今晩も名寄で駅ネだ。若かったからできたのだと思う。今なら誘われても勘弁願いたい。2日目の夜は駅そばを食べてすぐ横になる。
夜に旭川から到着する宗谷本線の蒸機牽引の客車列車があって、バルブでもできたはずなのに惜しいことをした。
 明日はいよいよ最終日。


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