2002年秋、会津から磐城へ
旅立ちは突然。用意はしてあったものの布団から出る4時間前までは何も決めていなかったのだから。
いつの頃からか、計画性が薄くなった。「とりあえずクルマを走らせて...。」のパターンが多くなった。それに拍車をかけたのが
お召し撮影だと思う。場所の確保が難しいことで「撮れるところで撮る。」ようになってしまう。さらにあの修羅場をくぐってしまった
ことで感覚がおかしくなり、本来なら数週間前から胸がときめくことでも「只見線のC11?そうねえ。」これは悲しい。
それに仕事で何か引っかかっていると撮影に集中できない。蒸機が復活した年は仕事が忙しく、休日出勤しながらサイトを見てい
た記憶があるし、今年もこの時期にピークが立ってしまった。よりによって、である。
そんなことを考えながら眠りについた。
4時半、会津に向かって出発。天気はいい。
会津へのアプローチはたいがい途中から「下道」である。最寄りのインターで下りることはない。下道を走ることが撮影の序章にな
っていて気持ちが盛り上がるから。
ただ今回は会津若松IC。只見線のロケハンの時間を気にしたのが理由だったが本当にそうだったか?自分の気づかないところで
いつもと違ってしまっていた。
霧の若松が何となく懐かしい。C11はすでにヘッドマークを付けてクラで眠っている。
市街地に戻るのに駅のすぐ南側の踏切を渡る。そこでブレーキ。
通りかかった老人に会津弁で話しかけられた。蒸機運転のことを知っているらしい。自分はその頃に只見駅の近くに住んでいて
(旧客を指差して)よくこれに乗ったことなど話をしてくれた。生粋の会津弁は久しぶりなので頭の中で必死に翻訳。
静かな街を抜け、本郷へ。駅の南側にある白鳳山公園に行ってみる。
まだ紅葉の時期まで少し間があるとはいうものの、会津盆地は冷え込んだ。吐く息が白い。ややあってたどり着いた。ところどころ
木々の間から遠くが望めるものの視界が開ける場所はない。会津鉄道のDCのタイフォンが聞こえるが姿は見えず。断念。
市街地を外れて少し走るとりんご畑がある。いいなとは思うがどっかで見た構図なので他人のまねはしない。
本郷−高田の間でしばらく散策。
坂下を目指して走り出す。もう出遅れだろうが構わない。休日なのに行き交う車が多い。新鶴からはまた霧。
着いた場所は車が一杯。周囲を歩いてみたが雰囲気が固い。また人が増えるのかという視線に耐え切れず、今来た道を戻る。
だんだんと若松発車の時刻が迫り、かつてDCを写した場所を思い出して新鶴の集落を見下ろす丘に決める。
霧が晴れて会津盆地が遠くまで見渡せた。回りには数人でのんびりしている。そのうちに若松発車の汽笛が聞こえた。
のんびり走る盆地も只見線のひとつの表情だ。
構図は意外に難しかった。手前ではすすきが逆光に輝いてきれいなのだが、これを入れてしまうと背景の田んぼとコントラストが
ありすぎて汽車が負けてしまう。ちょっとだけ考えて、思い切って500ミリを使うことにした。新鶴の集落から生活感を出すことがで
きる。これがベストに思えた。
さすがに煙は見えないもののひんぱんに鳴る汽笛を楽しみながら列車を待つ。その場所が少しずつ動いてくるのがわかる。
只見線で再びC11の汽笛を聞けるとは。胸に熱いものがこみ上げてくる。
たった1時間くらいの間に気温が上がってきた。それでも白煙なら現役時代のような絵になるだろう。
追いかける気持ちが強くなくても実際には周りの雰囲気に合わせてしまう。
49号国道を西へ。さらに252号に入り、ひたすら奥へ向かう。例によってあてはない。それでも鉄橋とかメジャーな場所は避ける。
川口を過ぎ、大塩あたりで何とかしようと思い、国道から脇道に入る。遠くにクルマの屋根が光っている。自分の知らないところに
そんなにいいポイントでもあるのだろうか?
会津の鉄道情景が好きなことでは人後に落ちないつもりでいたのだが、恥ずかしい話、今まで「第七鉄橋」の場所を知らなかった
のだ。雑誌やサイトでも見かけなかったからきっと大した所ではないと勝手に思い込んでいた。それが突然目の前に現れたことと自
分が知らないところにこれだけの人が集まっていることでショックが大きかった。「人と同じところでは撮らないもんね。」と動揺を無理
矢理押し隠す。しばらくの間探してコスモスが咲いている場所を見つけた。
実はここは夏に家族で来た場所。普通こんな場所に来る家族などあるはずもなく、いかに変わっているかということの証明でもある。
とっくに稲刈りの終わった田んぼで地元の子供たちが遊んでいる。のんびりしていい情景だ。
上りは盆地でやることにする。坂下−若宮の磐梯山バックにも心が揺れ動いたが煙がないのでは絵にならない。走り慣れた線路
沿いの道を高田へ。天気は快晴、本当に気持ちがいい。来てよかった。いや、生きててよかった。高田の駅付近をうろついて食堂で
昼食。
結局、思い出の大川の鉄橋に決める。その場所にたどり着くまで思い出の旅になった。光線を考えて鉄橋の西若松寄りの川原
にしたいと思ったのだが30年前と違いすぎてわからない。コンビニ、ゴルフの練習場、住宅団地と地形が変わりすぎていてわから
ない。
やっとの思いでクルマを止めた。時間がかかったので焦る。三脚をわしづかみにし、力まかせにカメラバッグを引っ張り出して堤防へ。
そこには誰もいなかった。通過2時間前。時間は十分ある。川原に下りてポイントを探す。鉄橋の北側と南側を行ったり来たり。
懐かしい場所だった。C11現役の頃、何度訪れたことだろう。初秋に、吹雪の日に、挙句の果てに鉄橋の退避場から、などなど。
思い出が一杯詰まった場所だ。C11が復活することなど本当に夢のように思える。北会津から南会津まで山々が美しく望める。
いつかDCを写しに来ようと思う。それまでまたがんばろう。あの日と同じように背炙山(せあぶりやま)の電波反射板が夕陽に輝い
た。
思い出に浸っているうちに人が集まり出した。といっても川原に下りてくる人はいくらもいない。あとは汽車が来るのを待つだけ。
遠くで汽笛が鳴っている。鉄橋の手前で惰力をつければ大して煙も吐かないのでは?それに石炭もいいはずだし。
それにしてもブラストはすごい。ボイラーの調子がいいのだろうか、キレのある音が響いてきた。
汽車が去ってしまうと風が冷たく感じられた。
クラへ行ってもD51と同じことだろう。そう思いながらわざわざ市街地を迂回して49号国道へ戻る。
30年前にタイムスリップできた一日がもうすぐ終わる。充実感でいっぱい。
11月初め、磐越東線に向けてクルマを走らせていた。旧客が走る、という情報を得て思い立ったのだ。
いつか再訪してみたい、と思いながらそのままになっていた場所でもある。DD51の重連貨物があった頃にはお決まりの写真しか見
かけなかったしせめてDCもキハ58でも走っていてくれれば、ということで自分の中での優先順位が上がらなかったのである。それが
今回の臨客でやっと、ということになった。
国道4号線を南下し二本松から東に折れる。岩代、東和を通り三春に抜ける道は勝手知ったるルート。蒸機が走るわけでもないので
普段と同じ雰囲気の国道ニーパッパを船引で折れ、常葉、滝根とこれまた懐かしい思いで走る。小野までの穏やかな沿線を第一のポ
イントとして考え、どうしても見つからないときにいわき側の阿武隈山系の中で探してみようと思う。天気は曇りで予報によれば回復す
るはず。
それでも今いる場所が「中通り」と「浜通り」を分けるあたりだから安定しないかも知れない。そんなことを考えているうちに小野まで来
てしまった。「JR BUS KANTO」の文字がちょっと新鮮。
結局いわきへの県道に入り込む。川前の田んぼ道で朝食。クルマなど当分来ないと思い、仮眠していると農家の軽トラックがやって来
て仕方なく移動。ベストではない構図に納得がいかず、同じ道を行き来する。
紅葉の美しさでは会津にはかなわないが、それなりの渋さのある路線だ。
川前駅で小休止。駅舎は癒し系で昔懐かしい。通っていた小学校を思わせる建物だ。昇降口や職員室に似た雰囲気が気に入って
スナップ。
夏井川が駅のすぐ近くを流れている。古いが清潔感のある駅、絶え間ない沢音。いいところだ。
磐城というところ、どうしても東北らしくない。南にあるのに夏は涼しく、もちろん冬は暖かくたまにしか雪が降らない。
言葉も水戸に近い。常磐線も水戸支社で415系が入ってくる。
気候が温暖だから紅葉のきれいさもそれほどでない。それなのに何に惹かれてやってきたのか。
通過時刻も迫ってきていよいよ場所を決めねば。陽が射してきたのが好材料。せっかくの旧客にヘッドマークは不自然なので、旅の
雰囲気を出したい。それならサイドか後追いでねらうのがいい。
いくらか色づいている木々の中を旧客が轟音とともに通過。改めて回りを見渡す。小春日和の田んぼが美しい。
いわき行を阿武隈山系でやったので返しは盆地にする。小野から滝根、常葉までクルマで流してみる。
このあたり、線路はいたるところでカーブを描くものの急勾配はない。ただし集落のそばを走るために電話線や配電線も多く、ガード
レールが白く目立ったりしてヒキが取れる場所がなかなか見つからない。船引の近くまで戻ってみたが、これという所はなかった。
といっても三春−要田のカーブに行く気がせず、迷う。大越駅北側のカーブも捨てがたいが構図が今ひとつフィットせず。
実は「撮っておき」の場所として、菅谷−神俣に自分のベストポイントがあり、そこでやることにする。ここはだいぶ前に羽山をバッ
クにDCを写したことがあるところ。着くと、もう何台か駐車していて三脚も立っている。さすがに早いなと思うがみんな迎えうつポジ
ションなのでひと安心。例によってへそ曲がって後追いのアングルに決める。
それにしても一度でもその空気に触れた土地での撮影というもの、落ち着いて撮れて楽しい。見ず知らずのアウェーの緊張感もい
いが実家に帰った時に荷物をおろしたような開放感を味わえるホームがいい。そうこうしているうちに晩秋の陽が傾いてきた。
整備の行き届いたDE10は美しかった。田んぼの中のショートの編成の旧客は日中線以来か。
今朝来た道を帰ることにしてニーパッパを戻る。この秋、南会津から磐城の国へ走り抜ける客車を十分に楽しむことができた。
住み慣れた土地への去りがたい思いとともに列車を三春で見送る。
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