北海道へ U 《旅の始まり》 渡道も二度目となると気持ちにいくらか余裕が出てくる。多分最後であろうと思われる冬の蒸機を撮るためである。 ただし当時の記録が残っておらず、青森までどの列車に乗ってどうしたのか覚えていない。 途中の駅で予行演習とばかりバルブなどをやっている。まあ、結果的にはそれも貴重な記録ではあるが。 ![]() 多分、仙台から青森まで乗ったのは急行「十和田」ではなかったか。兎にも角にも青森までやってきたのである。 何でもかんでも写しておくことは一見フィルムの無駄のように思うが、最近になってそれは大変貴重な記録だと思うようになった。車両でも施設 でもそれがいつまでもあるわけではない。何気なく写しておいたものが後で振り返ると珍しいものになっている。時間が経てば経つほどその大切 さが増してくる。そんなことで写っているのが青函連絡船。構内入換はさすがにDE10になっていたが、それも今ではこの駅で見かけることは少 なくなった。 連絡船は前回より1便早い。その訳は函館に着いてから話そう。 ![]() ![]() 函館からは夏と同じように「すずらん」だ。 ところでこの夜行列車、座席車が混雑する。下手をすれば座れない可能性があるのだ。そのためにどうするか? 時刻表上の乗り継ぎダイヤの通りとした前回、乗車レースをしたのだが不思議なことにすでに多くの乗客がいた。どうも改札の方が早いらしい。 それだったらこちらも1本早い連絡船にすれば確実に座れる。そんなことを考えたのだ。 実はさらにうまい方法が雑誌に紹介されていた。1本早く函館に着き、江差線に乗り継いで1駅位で折り返し、函館に戻ってくる。そうすればホ ームを出ないので改札が始まるよりさらに早く、「すずらん」入線とともに乗車できる...。さすがにそれは実行しなかったが。 《初日:昭和50年3月18日 室蘭本線》 寝ぼけまなこで苫小牧下車。ファンもぞろぞろ降りてくる。例によってキハ22に乗って追分で下車。構内のはずれに陣取る。 春3月で雪はない。それでも気温が低いから煙量は多い。この路線、スピードが乗ってくるとそれほど煙は吐かないから安易だが発車にしたのだ。 何を考えていたのかはっきりしないが、到着となる列車は当然のことながら無煙なわけで半分くらいの本数を捨てていることになる。ただ、発車と なればそれ以上の魅力があるからそう決めたのではなかったか? 実際にD51の貨物だけでなくC57の客レも期待以上の煙を吐いてくれて満足。気分を変えてクラへ行ってみる。 さすがに室蘭本線の機関区だけあって煙が濃い。好ましい木造の扇形庫にはD51が休んでいる。入換用のキューロクもゆったりと蒸気を上げて いる。当時は追分構内の入換はキューロクが3両で担当しており一般の貨物やセキの組成にせわしなくヤードを行き来していたのである。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 夢中になって写していると時間のたつのが速い。移動のために札幌へ。 |